MAN会報
「うま味」の話

理事 吉富 康二

 ミュンヘンにあるビールマイスター養成校「デーメンズ」を卒業してからもう33年にもなるのに、7年前から卒業生にドイツビール業界誌「ブラウインダストリー」が毎月送られて来る。現役も離れて久しいのでしっかり読むことは少ないのに、2012年の11月号の記事の中にビールの基本的香味として「UMAMI」の文字を見つけて嬉しくなった。
 この学校には現在ワインのソムリエに当たる「ビールソムリエ」養成コースもあり、香味成分の言葉の定義や醸造工程との関連などを教えている。日本語の「うま味」はそのまま「UMAMI」として使用されていた。ドイツのビールの世界にまで使われるこの言葉は、世界に通用する国際語に何時、どのようにしてなっていったかに興味がわき調べてみることにした。
 そもそも「味」は世界各国で様々に分類されてきたが、現在広く用いられている四つの基本味(甘味、酸味、苦味、塩味)の概念が世界的に定着したのは19世紀になってから、「うま味」が味覚国際会議で今までの4つの基本味では説明できない新しい第五番目の基本味として認められ、それ以後世界各国の新聞に報道されるようになったのは1997年である。(岩波新書「味と香りの話」栗原堅三著)
 ところで、日本の中での「うま味」を遡って行くと、幕末から明治40年ごろまでの日本の学問の発達の歴史を語る司馬遼太郎の世界に入らざるを得ない。彼に言わせれば、ヨーロッパが2000年かけて作り上げた文明を明治の日本人は40年程度で日本に移植しようとした。1868年から日本が異なる文明から大転換して、一夜漬けで欧米の全ての果実を取り込もうとする姿は彼らからみると「あさましいオウム」や「猿真似」の国に見えたのも無理はない。
 当時の学者や知識人は欧米の書籍、原書をいち早く手に入れて、日本語にして紹介するのが有能とされていた。
その原書の輸入を扱ったのが「丸善」でした。要するに、明治30年ごろまでの日本の学問は「丸善」に頼っていた。
 本来、学問や科学はそういうものではなく、自分で仮説を立て、自分の方法を作り、自分で発見することだと日本人が気付き始め、猿真似から脱した初めての日本の学者は司馬さんに言わせれば、一人は原子核の構造論を展開した物理学の長岡半太郎(大阪帝国大学初代総長)。二人目は1908年(明治41年)昆布のダシの美味しさの成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見した東京帝国大学池田菊苗教授。この物質の持っている独特の味は「うま味」と命名された。うま味はこの後日本が世界をリードし、鰹節のうま味はイノシン酸、椎茸はグアニル酸の塩(えん)であることが明らかになった。近年京都の有名な瓢亭に料理を学びにフランスのシェフが何人もやって来る時代になり、日本には世界に誇れるものが我々の周りには良く見れば存在するのだと実感した。


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