MAN会報
め以子の時代 生きた母

水浪 純

 私たちは発育のいい双子だった。母はそれが自慢であった。7歳年上の姉、父との5人家族の生活は、今思えば幸福の象徴だ。
 しかし、昭和20年6月、住んでいた大阪市豊中市は大空襲を受け、わが家も熊本の親戚を頼り、疎開することになった。私は国民学校の4年生だった。母は買い出しの重労働と栄養不足から結核に侵され、半病人の生活となっていた。
 同年7月初め、熊本に向かった。関門トンネルを抜けて、どのあたりまで行ったか。熊本市内がただ今爆撃を受けている、とのアナウンスがあり、列車は無灯火となり停車した。疎開列車の満員の乗客たちは、暗闇の中、しんと静まっていた。夜が明け、私たちは熊本の手前、大牟田駅で下車し、母の妹が疎開している南関という町に向かった。翌年1月、熊本市内の病院で腸結核のため母は死んだ。 39歳だった。なす紺色の着物で仕立てたもんぺとそろいの上着を着た、やせ細った母の白い顔を忘れることはない。今年、私は母の倍の年齢となった。あの戦争さえなければ、母は幸せに生きられたはずだ。NHKの朝ドラ「ごちそうさん」の主人公、め以子と母は同世代である。
(大阪府河内長野市 水浪 純 主婦78歳)

*水浪純さんは御堂筋アズマネットワーク塩原詠子監事との双子の妹さん。
(補足)本文は朝日新聞「ひととき」に投稿され、平成26年3月に掲載された。水浪さんは通信教育により、法学部や英文学部を終了、某大学の非常勤講師も務められ、現在は朗読や精神科ボランティア活動に従事されている。ご本人と塩原さんの御了解を得て会報記事とさせて頂いた。


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