MAN会報
近況報告

栄光時計株式会社 会長 小谷 年司

 今年の幸せは六月にパリ、ロンドンへそれぞれ十日近く滞在できたことでした。しかも、殆ど雨にも会わずでした。ヨーロッパの夏はすばらしい。天気の日、朝、外へ出ると湿度が低いせいか、ひんやりして空気が透明です。

君を夏の一日にたとえようか
君はそれより美しくて優しい
強風がさんざしのつぼみを散らし
夏の季節は短すぎる
太陽が激しく燃え上がる時も多いが
雲がその黄金の面をかくす時もある。
美しさはいつもそのままではなく移り変わる。
偶然起こる事柄、自然の移り変わりが
美しさを摘み取ってしまう。

 これはシエークスピアのソネットの一節でこの部分はどなたでもご存じでしょう。日本にいても夏は思ったより短くて、蒸し暑さの厳しい関西でもほんとの暑さは七月に入って京の祇園祭から始まって、大阪の天神祭で頂点に達し、八月十六日大文字の送り火で終わるとされています。その間、一ヶ月半にすぎません。しかし、シエークスピアのように「この夏の短さをどうしょう」かと思ったのは夏休み宿題に追われた子供の頃しかありません。夏はいたずらに堪え忍ぶ季節で、ヨーロッパでは反対にこれが冬になります。
 夏目漱石が初の文部省派遣の語学研修留学生としてロンドンに行ったのは一九00年でした。あとで、この留学の三年近くは人生の最も不愉快な日々であったと言っています。充分なお金がなかったこと、頼るべき人が少なくてすべてが手さぐりで孤独な生活を強いられたこと、業績に対する義務感と焦燥感からきたものでしょうが、石炭を燃やし続ける公害でいつも煤けて黒い町の様相にも影響されたのかも知れません。暮らし向きが楽になった頃の漱石がもう一度ロンドンを訪問することが有ったならきっと違った印象を持ったことでしょう。
 ロンドンは袋に入った真珠みたいで初めはただ霧に包まれた都会がどこまでも続いている感じで何の面白いこともないように思うが、住んでいるうちにやがてそこは何でもあることが解るとずい分昔にロンドンに勤務した外交官(吉田 茂らしい)が言ったそうです。
 私達夫婦も、今回ロンドンに十日も逗留してその感を強くしました。パリに行くと新奇なものはありますが、みんなフランス化されています。ロンドンでは何でもありますが、伝統を守る一方、外国のものもそのまま受け入れる寛容性もあります。それに過去の大英帝国時代の冨と威光ををもってかき集めた世界中の文化遺産の集積のおそろしい量に圧倒されます。
 今年はエリザベス女王の在位六十周年でそのお祝いに王室御用達店百軒あまりが、バッキンガム宮殿の庭を三日間借り切って模擬店やパーテイ、ファッション・ショー、コンサートを開きました。有料の入場券を売って六万人近くを招待し、収益を寄付に回したようです。女王陛下も時に庭園にお出ましになっておられたようです。入場時は厳重に検査されましたが、あとはのんびりとしたものです。庭といっても、特に手入れが行き届いているといった様でもなくフランス風の刈り込んだ植え込みもなく、ごく自然な英国の庭です。この園遊会は実に楽しいものでした。王室をたてまつるという気分が少なく、それでいて大切にする感覚がよく出ていました。こっちは昼間でもダークスーツにネクタイをしめて行ったのですが人々の服装はカジュアルから正装まで千差万別で日本の宮内庁ならきっとうるさいだろうと羨ましい気持ちになりました。しかも全体として俗に流されず優雅でした。日本の皇室に対しても私達は敬愛の念は失わず、かしこまりすぎもせず、つかず離れずの気持ちを常にお持ちするのが大切な気がします。
 ヨーロッパの夏でこれだけは日本に居ては感じられない至福の時はゆったりと暮れゆく夕方です。私自身もすでに人生の黄昏の時に入っていますが、日本のたそがれ老人は「枯れ枝に鳥の止まりけり秋の暮れ」です。余裕のない蕭条とした思いにかられています。ある朝思い立って六時間も電車にのって英国最南西端にあるセントアイブスに行きました。辺鄙な港町ですが、そこにある日本とは深い関係を持った陶工バーナード・リーチの窯を見ておきたかったためです。泊まったのは美しい海水浴場の砂浜をのぞむ丘にポツンと一軒建っている「カービス・ビーチ・ホテル」。むかしむかしの伊豆の川奈ホテルみたいでした。テラスでビイルを飲みながら長い間海の上の暮れなずむ空を眺めていました。我が人生の黄昏がこのくらい長く続いてくれればいいかなと思ったり、このまま時間が止まってくれないかと感じたりしていました。

時よ、年をとった流浪の民よ。
一日だけでいいから、馬車を止めてくれないか。
家にいてくれるなら、なんでもやるよ
馬には美しい鈴を、
おまえには金の指輪を作らせよう 
孔雀に挨拶させ、少年達には歌わせよう
少女達にはさんざしの花環を編ませよう。
それなのにどうして行ってしまうのか、時よ。
先週はバビロン、昨日はローマ、
今朝はセントポール大聖堂の会衆の中にいる。
日時計の下で一瞬だけ手綱を引き締めてるが
すぐに出発して生まれようとする町へ
その町が墓に入る前にまた次へ。
時よ、年とった流浪の民よ
どうか馬車を止めて
ここにいてくれ

(ラルフ・ホジソン 英国の詩人)

ゲーテは死期の迫ったファウストに「時よ止まれ、おまえはあまりにも美しすぎる」と言わせています。しかし時は止まることはありません。この暑い夏から秋へ、秋から冬へ着実に万人に平等に歩んで行きます。いや老人には不平等に飛んで行くと言ってもいいでしょう。生命の砂時計には、残りの砂がなくなりつつあります。でも、時の車輪につぶされることなく残りの夏の日日をすこやかに豊かに過ごされることを願っています。


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