MAN会報
余生?

飯室 敬義

 60歳の定年を迎えて、これからの人生は余生なのか? 喘息に罹患しているからには余生もそう長くはないかもしれない。在勤中は仕事に追われて、余のことにはたいして関心はなかった。ただ、ゴルフの球打ちだけはストレスの解消で続けていた。
 そして、子どもが教室から解放されて運動場に飛び出したように、わたしも仕事を離れてゴルフのボール打ちに熱中し始めた。過度の練習がたたって第5腰椎と仙骨の分離症を患い、厚生年金病院で手術を受けることになった。この間、約1年間はゴルフを棒に振ってしまった。
 55歳の時、喘息に罹患して、当初は近くの市立病院やT会病院に通院したが何の進展も見られず、ただ吸入を続け経過を見守るだけという時、ご近所の田中さんに宮武医院を紹介していただいた。当時は大先生で、長堀で、続いて大黒橋で、そして今の西心斎橋で宮武若先生のお世話を頂くことになった。この間22年徐々にではあるが肺活量も3000tに回復した。血中酸素量も安定し、発作の出ることも殆んどない。先生の処置のお陰で将来に光明にも似たものを感じるようになった。
 症状が安定しだした14、5年ほど前から堺市にある大阪南部健老大学の陶芸部に席を置き、新しい挑戦を試みた。陶芸を始めた頃、誰もが一度は作ってみたくなるものの一つに「抹茶茶碗」がある。てびねりの頃にこれを作ったら、「猫飯茶碗か」と批判されたこともあった。それらは何処がどう違うのか、PCや文献で調べてみるとそれぞれの焼き物には焼き物独自の約束事があって猫飯茶碗ではない。
 『茶道を習おう』。
 幸い、岸和田は城下町の所為か「茶道表千家」の家元が多い。正座の仕方、歩き方、三種類の礼の仕方、薄茶、濃茶の頂き方、正客の役目、半東さんの役目、水屋の仕事、さては亭主の所作、季節ごとに変わる棚や釜、水差しの種類など数え切れないほどの道具と変幻する所作、覚えられない。10年近くの修行もついに痛みが膝に来た。座すことが出来なくなって只今、休眠中。
陶芸をよくする人には茶道もよくする人が多い。わたしの場合は陶芸が先でもう13年を経過している。健老大学は4年で卒業、
 『陶芸教室に行こう』
 幸い、堺市から南部の丘陵地域は弥生の頃から須恵器生産の一大拠点だったからその脈を引いて陶芸は盛んと言える。土練り、轆轤成形、一人前になるには10年は修行が必要といわれる。それを3年でやろうというのだからろくなものは出来ない。小物は暇にあかしていつでも出来ると思い、大物に挑戦することにした。
 高さ30p以上の壷、花入れ、さては扁壷まで考えられるありとあらゆる成形物まで挑戦し、岸和田市展、堺市展、泉大津市展など地方市展への出品で存在をアピールしようと考えた。結果は未だ出ず。入選、佳作の域をうろうろとしている有様で市長賞までは届かないが近い将来にきっと「市長賞」をと念じている。
 『ゴルフは続けよう』
 球打ちを始めて32年が経過した。月例Aクラスでの優勝は何回もあるけれど、3大競技の優勝はない。60歳、定年後は従来より熱心に練習したので、シニア選手権ではついに優勝することが出来た。栄えある『金看板』にその名を刻んだ。勢いをかって関西シニア選手権の試合にも出場した。予選には7割の勝率で決勝まで進んだが、関西のチャンプには遠かった。77歳で今なおシングルハンディキャップは維持している。
 「よくまあそんな時間があるなあ」友達にはよく言われる。「だって時間って作るものですよ」。たまたまこの世に生まれてきたからには、精一杯生きることですよ。
 『生は偶然、死は必然』
 厚生労働省の発表によると、男性の健康年齢は70歳で平均寿命は79歳、即ち健康でいられる年齢は70歳までですよ。あとの9年間は病気と闘ってください。確かに病院に行くと高齢者ばかりが目立つ。ご他聞に漏れずわたしも今、大腸にトラブルを持っている。
 「色々と趣味を持っていいですね」。と人はいう。冗談じゃない、趣味ではなく、わたしは自分への挑戦なのだ。生を頂いたからには私には何が出来るのか、自分の持つ力ってどれほどのものなのか?それがつまらないものであっても、人に笑われるようなものであっても、力いっぱいやり尽くせばそれで満足。一生懸命に生きることによってやがて穏やかに死を受け入れられる一生になれると思う。人は必ず死ぬのです。
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