MAN会報
はじめての「済州島」

栄光時計株式会社 会長 小谷 年司

 昨年秋に済州島へ始めて行きました。済州航空という会社が関空と済州島を毎日便を出していて、その時は往復で二万円を切るという安さでした。今でもそう高くはなっていないと思われます。是非行ってみられるとよいとみなさんにおすすめします。
 のんびりおっとりした島です。宮武先生とは数年前ソウルの新羅ホテルにチェックインしようとしたら偶然出会いました。奥様とご一緒でロータリークラブで講演のために来られたとのことでした。偶々時間があったので、講演も拝聴しました。ご専門の医学のことで内容はすっかり忘れてしまいましたが、ソウルで宮武先生の講演に出会えたことが、楽しい思い出として残っています。ソウルのホテルと同じ系列の新羅ホテルに済州島でも泊まりました。すばらしいリゾートホテルです。ここで四、五日ぶらぶらすごすのもゴルフ場も隣にあったりして悪くありません。以下は、別の会報に書いた旧稿ですが、読んでいただければ幸いです。
 まだ司馬遼太郎さんがお元気だった頃、「街道をゆく」の済州島編「耽羅紀行」(耽羅は済州島の古名)をいただいたことがある。一度、行ってみたかったけどなかなか実現しなかった。今年十月末仕事上での機会がありその宿願を果たすことができた。司馬さんが行かれたのも二十六年前のこの時期で、この本は今回たったの四日間の旅であったが、最良の友であった。
 友といえば、もう一人在阪韓国人の友人がついて来てくれた。生野区に住む李景朝という画家でこの人の描いた済州島の漢拏(ハンラ)山の風景が我が家にある。日本人にとって富士山が日本人の心を象徴しているのと同じようにこの山は済州人の魂みたいなものらしい。この絵をみていると故国を去って異国で生きるこの画家の望郷の念がひしひしと伝わってくる。漢拏山もこの眼でみたかった。
 済州島は秋に行くと島中ミカンの樹ばかりで沢山の実をつけている。ミカン栽培が重要な島の産業らしい。こんなことも飛行機で関空からたった一時間半の距離だけど知らなかった。島は意外に大きくて淡路島の三倍の面積があり一周二百キロ、ミカンを横から見たような楕円形をしている。鉄道はないが、広い道路が走っていてとても裕福な国に来たような気がする。島全体が溶岩台地だから風景としてはなだらかな静岡県の冨士の裾野あたりに似ているが、工場がないだけ実に気持ちが良い。看板も少ない。車も混み合ってなく、トラックやトレーラーも少ない。同行の友人李氏は貧しいところですよと謙遜するけど人々の暮らしに何となく心の余裕が日本よりあるような気がしてならなかった。
 ある晴れた日の午後、友人が子供の頃すごしたという、海岸へ連れて行ってくれた。ポコンと丸くもり上がった対岸の島影が美しい。スコットランドの島みたい。左手の海に伸びている岬は浦木里というらしい。海辺の展望台にハングル文字で書かれた石の詩碑が建っている。景色を賛美した詩らしいが作者の詩人は同級生で岬の突端に住んでいるから呼んでくると友人は携帯電話を取り出した。
 数分後、私達は海を見晴らす高台のコーヒー店で話をしていた。詩人は白髪の似合う温和な表情で、こんな美しい場所でミカン栽培で生活しながら詩を書いて過ごせたのは幸福だったと言った。
私と同年だから韓国の風習に従ってまるで友人のように話をする。素直に美しい生涯と感じ入って聞いていた。岬の先のミカン畑の中の簡素だが詩人らしい家で暮らしているのだろう。書斎からはきっと海が見え、岩礁に砕ける波の音が聞こえるに違いない。拝見したかったが、言い出せずに別れてしまった。
(2012・12)
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