MAN会報
あれから17年

吉岡 孝子

 平成9年3月21日21時。どこからか各科の先生方が、私達家族のいる病室に集まってこられました。先生方の賛美歌が静かに流れる中、愛犬が悲しそうな声で鳴いていました。冷たい雨の降る夜でした。「亡くなる時は、私たちには考えられないくらいのしんどさと、高熱が出ます。」と主治医が言ったとおり、夫の手足は冷たいのに39℃以上の熱が出ていました。主治医はモルヒネに眠り薬を追加しました。夫は知ってか知らずか「明日の朝は目が覚めそうにないから、しっかり起こしてくれ」それを最後の言葉に、辛く苦しい闘病生活からやっと解放され神様のもとへと旅立ちました。静かに忍び寄った癌は、趣味のテニスの練習中に肋骨を骨折させ、私達にその存在を知らせました。
 夫はその頃、「ターミナルにおける整形外科の役割」に力を注いでおりました。癌患者が最後まで人間らしく生活できるように、転移した部位の手術をすることでした。入院してからも、厚生年金病院看護学校や大阪市大で、「ターミナルとは決して終着駅ではなく、新しく出発することです。」ということから始め、整形外科の役割を講義しました。癌は左腕と胸椎に転移していた為コルセットをし、私が付き添っての事でした。外来診察も何度かしましたが、日に日に体調は悪くなり、すぐにホスピス病棟に移りました。「天国に一番近い病棟か」夫はぽつりと言いました。「患者さんのために一生懸命働いてきて、これからもどれだけ役立つかわからないのに、神様は何を考えているんだろう」とまるで旧約聖書のヨブの妻のような私でした。
 寒い冬の年でした。ホスピスから見た紫に染まる街、雪の街、屋上に一匹で住んでいる犬、私の心の中にいつまでも住み続ける風景です。あれから17年、「孝子さんともう少し子供が大きくなるのを見たかった」と言った夫の為に長生きして、子供や孫の土産話をたくさん持って逝きたいと思う毎日です。
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