MAN会報
干支の置物を作って60年

理事長 上嶋 幹子

 平成9年3月1日に宮武内科喘息友の会として発足以来、今日まで会長を務めさせて頂いておりますが、今年も無事、総会が終了致しました。これも宮武明彦先生のご指導の下、諸先生、役員、会員、関係者のご尽力の賜物と深く感謝申し上げます。
 私は、20代でお見合いをして亡夫と出会いました。夫は入隊し和歌山25部隊に所属していたため、時折、和歌山へ姉と一緒に面会に出掛けておりました。ある時、面会に行ったものの夫は出征し此処には居ないと言われ動転しましたが、心優しい上司の方から急な外地出征だが梅田に行けば未だ間に合うといわれ、急いで姉と梅田の駅に駆けつけました。梅田の駅の下でほんの僅かな時間、隙間から夫の顔をのぞき見しただけで、夫はコレヒドールという島に出征しました。その時は、もうこれが今生の別れかになるかもしれないと思いましたが、夫は終戦後、無事帰国し結婚致しました。25歳の時でした。
 結婚してから何か趣味になることをしたらどうかと夫に勧められ、30歳頃から家で小物作りを始めました。特に先生と言われる方はおらず、業者の方から教わるだけでバッグや財布などの作り方を覚えました。
 その後、人形屋を経営している方が私の家に定期的に来られるようになり、木目込み人形を習うようになりました。当時は5人程の近所の奥さん方が家に来られて、一緒に作品作りをしておりました。
52歳の頃、気管支喘息を発病し、その当時は10メートルを歩くのがやっとでした。当時は気管支喘息専門のお医者様はおられず、治療が大変だったのですが、先代の宮武明一先生に診て頂くようになって少しずつ良くなり、人形作りも途切れずにすることができました。
 平成3年に宮武明彦先生のお世話になるようになって、随分と元気にさせて頂き、NPOのお世話もするようになりました。私の作る十二支の人形は評判が良く、毎年、干支人形を拵えてはお世話になっている方に差し上げるようになりました。
 夫は私が76歳の時に83歳で亡くなりましたが、その後も干支作りを続けました。30歳から作っている干支は4周りして、現在、置物は60個に達しておりますが、毎年、趣が異なり思い出もあります。今年は巳年なので可愛いい蛇を作りました。(写真)

 この1月19日に満91歳を迎えることができましたのは、私にとっては天恵で、少し物忘れをするようにはなりましたが、微力ながらお役に立つ間は、ご奉公させていただかなければと思っております。
 小物作りは私の病気の心の支えでした。皆さんも、心の支えになるご奉仕や趣味を持たれて、元気で健康な日々をお過ごし下さればと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。


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