MAN会報
不活着その四 (まだ生きてるよ)

理事 小森 恭彦

癌の手術をしてからもうじき六年になります。多くの医師の先生方のおかげで、楽しく暮らしております。昨年は7回も海外旅行に行きました。その内6回は中国です。1月はアモイ、福州への一人旅、6月は友人二人と、城壁に囲まれた明の時代の都市がそっくりそのまま残っている平遥と太原へ、あと4回は大連に行きました。今回は9月から10月にかけて友人と行った大連交通大学への留学のお話をします。小生は3週間の予定で授業を受け、友人は2週間の予定で授業を受けず、自室で自習をしました。授業は午前8時から12時、月曜から金曜まで毎日あります。午後は予習、復習、宿題、家庭教師との会話練習、掃除洗濯等、けっこう忙しいです。当時、友人は授業に出ていないので学力不足を感じたらしく、彼から夜間中学に行かないかと提案がありました。夜間中学は繁華街に10数軒あり、教師は全員若くて美しい女性です。授業は「听力」(聞き取り)、「口語」(話し方)の二科目のみで、「閲読」(読解)はありません。学費は大学より特別高いですが、宿題もなく間違っても教師の叱責は無く、ただただほめるのみです。時には酒も出て、酔えば酔うほどリラックスして鈍才が天才に生まれ変わります。友人は某国公立大学出身者で勉強熱心ですが、小生も彼に負けず劣らず勉強好きなので、二人で毎晩夜間中学へ通いました。その時知り合った先生のお母さんが、ひどいゼンソクで苦しんでいる話を聞きました。あちこちの病院へ行っても「治らない、手のほどこしようがない」と言われたそうです。病状はとても重く、出過ぎたまねをして宮武先生には申し訳ないと思いつつ、予備の薬(フルタイド)を差し上げました。二カ月後再会して尋ねたところ、仕事ができるまで回復した、しかし、この薬をあちこち捜したが手に入らなかったそうです。彼女は母親を日本に連れてきて、宮武先生に診てもらうべく、昼夜働いています。小生、あらためて日本に生まれたこと、宮武先生とめぐり合えた幸せを感じています。
(おわかりとは思いますが、文中の夜間中学はクラブのことです。年の為)


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