MAN会報
「老荘思想」との出合い

事務局長 高峯 秀樹

 片付かぬ部屋で稿書く
        去年今年 秀樹
 宮武明彦先生に身体のケアーをしていただいているお蔭で、運良く平成24年10月13日に満八十才を迎える。
 満60才の定年退職の記念に「裸の自分史」236頁、非売品)を作ったことがある。以来誘われるままに、並行して複数の仕事のお手伝いをしてきたので、成功、失敗を含めて20近くになる。その一つ一つは端切れのようなものであるが、寄せ集め、繋ぎ合わせてみると、吾ながらアートのパッチワークのように思える。
 弱者の一人の生き方として参考になるところもあるのではないかと思い、誕生日を目途に「吾がパッチワーク人生」のタイトルで出版することにしている。
 少し振り返ってみると、五年程前から俳句の創始者・松尾芭蕉の勉強を始めた。正岡子規以降現代までは、俳句を学問にしたと称された松井利彦先生の膨大な著書を、毎月俳誌に5年間「著書解題」のタイトルで連載させていただき理解を深めた。ところが芭蕉は難しい。
 あるとき、二十世紀で一番難しいと思うピカソと比べてみたらきっかけが掴めるのではないかと思いついた。ピカソの抽象画は一見空想で描いているように思われる。調べてみると、ピカソは「空想で描いたことはない。きちんとデッサンした上で、自分の考えや思いで構成し直して作品にしている」という。  改めて芭蕉の作品をピカソの眼でみると、芭蕉も同じである。
 そこで芭蕉の見方とか思いは何なのだろうと探ってみると、中国の老荘思想が浮かんできた。これが判らないと芭蕉の作品は理解しにくい。
 芭蕉は普通他の人が題材に詠まない鳥の鴉や、植物の薺などを取り上げている。よりによってである。  これがわび、さびにつながる。
(高峯秀樹著「ピカソが判ると俳句が判る」平成22年8月、JDC出版刊)

 老荘思想も理解が難しい。
 簡略に言うと、人生の上り坂で役に立つのは孔子で山の頂から下る時は老荘思想なのである。山の頂に着いたら後は下りである。
 目標に向かって山登りする時は周囲の物や事を味わう余裕などない。ところが下りは突進すると事故を起す。登りの時に出来なかった様々の事が味わえるのである。これが本来あるべき人生なのであろう。
 この味わう人生の楽しさを知って私の生き様は一変した。何事にも余りこだわらなくなった。いつも、皆に教わる姿勢で身近な物事を味わう。
 羅針盤の見えなかった人生に一縷の光明が灯ったのである。この老荘思想との出合いを楽しみながら人生を実り多いものにしたい。
 それには期限を切られてもまだ実行出来ていない部屋片付けと部屋の改装が急務である。


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