MAN会報
食物礼賛 その5
― 柳 渭珍さんを悼む―


理事 藤田 きみゑ

 今回も前回に引き続き、植物の薬効についてお伝えする予定でした。しかしながら、宮武と私の共通の友人であり、NPO法人アズマネットワークもお世話になった柳 渭珍(Yoo Wijin)さんが急に亡くなられましたので、哀悼の意味を込めて柳さんとの出会いと、その人となりについてお伝えします。
 柳さんは今年の8月2日にソウルで急死されました。家で仕事をしておられた時に気分が悪くなり、病院で点滴をして頂いて、少し改善したために帰宅して様子を見られていたそうですが、翌日、症状が悪化し救急車にて病院に搬送され、病院で亡くなられたそうです。恐らくは熱中症か、暑さによる心臓負荷にて急性の心不全を起こされたのではと思われます。享年79歳でした。彼女はソウルにてジーンアートセンターという画廊を経営され、多くの画家や芸術家を援助し、韓国の絵画の世界では彼女の名前を知らない人がない程の著名人でした。かの有名な草間弥生氏をも援助し、彼女の作品を韓国のみならず米国や日本に数多く紹介されました。瀬戸内海の小さな芸術の島、直島に草間さんの作品である黄色に黒の斑点のある巨大なカボチャを紹介したのも柳さんでした。ちなみに、私達が初めてジーンアートセンターを訪れた時に、直島と同じ大きさのサイケデリックで巨大な黄色いカボチャが、画廊の入り口スペースに無造作にどんと置かれているのを見て仰天したものです。
 私達が柳さんと知り合ったのは2005年春、宮武が韓国ドラマ「冬のソナタ」を通して韓国に関心を寄せ始めた頃でした。彼がロータリークラブでの卓話にて「冬のソナタが日本社会に与えた影響」を話し、その抄録をロータリークラブの週報に載せていたのですが、たまたま、冬のソナタのドラマの中で流れている音楽のピアノリサイタルと絵画展を開催するために大阪を訪れていた柳さんが、メイクアップのために宮武が所属する御堂筋ロータリークラブを訪れ、週報に掲載されていた宮武の文章を読まれて、是非ともこの文章の主にお会いしたいと申し出があったのが始まりでした。そして、これを契機として韓国領事館で行われたピアノリサイタルに宮武が出席し、その夜、大高さんのお店「節」にて私も柳さんにお目に掛かりました。その折、柳さんはソウルの女性ばかりのロータリークラブ(ムクゲロータリー)の会長をされていた経歴のあること、宮武の文章を是非とも韓国のロータリー誌The Rotary Koreaに掲載したいと考えておられること、韓国語(ハングル)への翻訳は柳さん自身がされることを話されました。7月に宮武の文章がロータリー誌に掲載された後、私達は年に2・3回の頻度にて韓国を訪れ、柳さんと親交を温めるようになりました。私達が韓国を訪れた際には3日程の行程の内、2日は私達と行動を共にされ、その間、昼食や夕食をご一緒することにより、さまざまな韓国料理を紹介して頂きました。この時、冷たい冷麺は冬に食べるもの、熱々の参鶏湯(サムゲタン:鶏にナツメや朝鮮人参、栗、大蒜、餅米などの詰め物をして煮込んだ料理)は夏に食べる補強の食べ物であることを教えて頂きました。また、駝酪粥(タラクチュク:牛乳がゆ)や、体力を補うソルロンタン(大蒜と共に煮込んだ白濁の牛骨スープ)の美味しさ、薬食(ヤクジキ:小豆やナツメ、ヨモギ、イワタケなどを材料とした餅菓子)や様々な伝統茶(五味茶、生姜茶、ゆず茶など)の中にも医食同源の理念が生きていることを知りました。 
 一度、柳さんの家に招かれ、東京の関さんご夫妻や他の招待客と共に本格的な韓国料理をご馳走になったことがありました。オンドル式の床の上に韓国李王朝時代のドラマなどで王侯貴族が座っているような、カラフルで、肘置き付きの日本の客用の座布団を2枚程重ねた厚さの敷物に座り、韓国式のお膳を前に銀製の匙と箸でご馳走を戴きました。料理は本当に手が込んでいて、松茸や松の実、このしろ(高級魚の名前)といった豪華な食材が並びましたが、その中で特に印象に残ったのは、飛び切り美味しい家庭味のチャプチエ(韓国風春雨和え物)と長時間煮込んだ牛肉の煮込み料理でした。柳さんはこの宴会を3日掛かりで準備したことを話されましたが、事実、台所には柳さんの妹さんを始め、4・5名の家庭の主婦らしい方達が忙しく立ち働いておられました。私は食事のために用いられた鉢や皿、グラス類の膨大な数を数えながら、これを洗うのは気の遠くなるような大変な作業だと柳さんに話すと「そんなことは気にしなくていい」と両班(ヤンバン:李氏王朝の特権的官僚階級)らしい鷹揚な口調で答えられたのが印象的でした。
 韓国を訪れて驚いたことは、この国が依然として李王朝時代の階級制度が残った身分社会であることでした。また、両班クラスの女性達の身なりや知的レベルは日本の上流社会の人たちと同じ、あるいはそれ以上であること、そしてそれら女性の肌の美しさでした。私達は柳さんの年齢を知りませんでした。柳さんは、私はびっくりするような年ですよとお話しされながらも実年齢は教えて頂けませんでした。しかし、柳さんのシミや小じわが全く無いつるつるのお顔を拝見するにつけ、45歳でもおかしくないよねと宮武と話し合ったものです。
 2001年から宮武がロータリークラブの職業奉仕事業として提案し、開始された「遺伝子バンク」は国際ロータリー2660地区の数多くのロータリークラブにてその必要性が認識され、2002年には本格的な採血事業が展開されていました。そして、この遺伝子バンクの理念に共鳴された柳さんの仲介にて、2006年3月、宮武がソウルの韓国ロータリークラブ合同例会でも遺伝子バンクについて講演することになったのです。日韓交流を主体としたこの講演会には、御堂筋ロータリークラブの会長夫妻を始めとしたロータリーメンバー10名、また、NPOアズマネットワークの会長上嶋さんを始めとしたNPOメンバー10名がツアーを組んでソウルを訪問しました。 
 講演の前日にはムクゲロータリークラブのメンバーとの交流会が韓国料理店北村にて開催され、高名なバイオリニストであるムクゲロータリーの会長さんが歓迎のためのバイオリン演奏をされましたが、この交流会も柳さんの計画・立案によるものでした。交流会には、北村自慢の様々なジョン(魚などのピカタ)やマンドウ(ぎょうざ類)などの多くの料理が並び、会話は片言の英語と、柳さんや日本に留学中の韓国人学生ジョン・ソミンさんの通訳にて終始和やかに、言葉の壁を越えてお互いの心が通じ合う歓談が行われました。柳さんはいともたやすく日韓交流を実現されたのです。
 翌日の講演会はソウルヒルトンホテルの大宴会場で開催されました。この講演会には大阪の韓国料理店、韓日館の李 美姫さんも駆けつけて下さいました。講演は日本からのメンバーや、韓国ロータリーのメンバーの方達が英語が不得意であることから、日本語で講演され、その内容をジョン・ソミンさんがハングルに同時通訳する形で行われました。講演会は柳さんが予想されたように成功裏に終わり、その内容は2006年4月のThe Rotary Koreaに掲載されました。
 この講演会を通じて、宮武と私の韓国に対する考え方は大きく変わりました。それは、この国の人達が私達と全く変わらない考え方を持つていることが理解できたからです。そして、かって日本がこの国より様々な文化や思想を学んだこと、また、多くの日本人(現日本人の約三分の一)がこの国の人達と同じ血脈で繋がっていることを再認識させた訪問でもありました。
 今年の5月、ソウルにて日韓共同アレルギー学会が開催されたため、1年振りに宮武と共に韓国を訪問しました。その折りに柳さんとお昼をご一緒することになり、韓国風精進料理(ベジタリアン料理)のお店に案内して頂いてご馳走になりました。柳さんは今日は忙しいけどと断りながらも、私達の希望に応じてソウル市内の画廊を二カ所も案内して下さったのですが、何時もの活動的で多弁な彼女と異なりお疲れのご様子で、特に、階段の昇降時は辛そうでした。私達のために無理をされたのだと思いましたが、それが最後の出会いとなりました。
 柳さんは明るく活動的で、女性でありながら、まるで男性のような強い理念と理想を持った方でした。そして、韓国と日本との架け橋の役割を自ら担われ、ロータリーの精神 "I serve"を実践された方でもありました。私達はその出会いに感謝し、心からのご冥福をお祈り致します。


次ページへ→

←目次に戻る