MAN会報
サッカー

理事 大和 健

 私はサッカーに興味をもったのは、十数年前の同窓会で何十年ぶりに平野勝哉君( 以後彼と呼びます)と再会した事です。彼とは小、中学校の同級生です。
 彼は住友金属の社員で、住友金属サッカーチームの顧問をしておりました。住友金属の所在地は茨城県鹿島郡鹿島町です(現在は鹿島市です)。彼は平成5年にサッカーのプロチーム(Jリーグ)が発足し、住友金属サッカーチームも参加するんだと私達に話してくれました。
 住友金属サッカーチームは当時実業団の二部に所属しておりJリーグに参加するには高いハードルがありました。
 Jリーグの理念は地元密着と企業名を出さないことで、彼はチームを強化するためにブラジルのサッカーの神様ジーコを獲得する使命を受けて、ジーコに住友金属サッカーチームの実情と「鹿島は海がきれいな小さな町で、サッカーで新しい町つくりに、あなたの力を貸してください」と力説しジーコ獲得に成功しました。又彼は会社と町民の会合を頻繁に行い、プロリーグ参加で町おこしに使えないかと説明し協力を得ました。彼はJ リーグの川渕チェアマンから屋根付きのサッカー専用の1万5 千人収容できるスタジアムを建設する条件を県や町の協力でみごとスタジアムを建設しました。
 彼はいろいろなプレッシャーを撥ねのけて住友金属サッカーチーム( チーム名は鹿島アントラーズ)が平成5年にJリーグの参加が決定され彼の努力が実を結びました。
 アントラーズは平成5 年の前期優勝を成し遂げました。私は平成5 年9月28日に鹿島に行きました。鹿島町は住友金属の企業城下町で、地元民のアントラースに対する支援がすばらしく、熱いものを感じました。以後鹿島アントラーズは数々の栄光に輝きました。
 私は鹿島アントラーズ誕生に強い情熱をもって努力してきた彼に敬意を表し、今後の鹿島アントラーズの躍進に期待いたします。(彼は現在アントラーズを退職しております。)


鹿島アントラーズ アル・シンド選手と(H5年9月28日)

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