MAN会報
宗右エ門町に想う事

会員 伊藤 三和子

大阪一の通りだった宗右エ門町で35年、クラブ蓼(たで)を始めました頃の宗右エ門町は花街としての色香が漂いはんなりとした風情のある南一番の通り、いえ大阪で一番の一等地でした。
芸者衆がダンナ様と歩いていたり、歌にもなって良き時代でした。
あの頃がなつかしくしのばれます。
その宗右エ門町で始めてのクラブ経営。
右も左も分らない私に連日のお客様のご来店が私を成長させ時間を忘れさせて呉れました。
判を押した様に休まずに真面目に働く事。その日々の繰返しが、毎日、毎日の大入満員で春、夏、秋、冬の季節の移り変わりも忘れる日々でした。
自分で決めた時間に決めた場所に行く。其の為の万全の準備を整える。
それが私の運命(さが)の様に今も変わる事なく繰返している日々ですが、性格は直りませんね。
35年をくぎりに風俗化した宗右エ門町を離れて、今、南の中心になっている東心斎橋にお店を小さくしての再出発。それもこれも私自身の健康の為。そしていつ迄も輝やいていたい為。このつき進む思いは一体何んなんだろうとふと想うのですが。長い年月お越し下さっているお客様の一言につきる様におもいます。
「ママ又来たで!!」とおっしゃってご来店頂きますそのお言葉に私は無常の喜びを感じます。
今、私の健康がゆるすかぎりの年月を蓼と共にと考えております。

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