MAN会報
気管支喘息治療の歴史

理事 宮武 明彦

薬の起源は人類が食物の中から食べられるものと食べられないものとを徐々に選択し、食べると元気になるものと、食べると中毒を起こすものが分別されるようになったことに由来する。さらに薬は、人類が火を発見し調理することにより、生食(植物、動物、鉱物)で中毒を起こすものが、加熱により摂取可能な食べ物に変化し、適応の範疇が拡大するという、いわゆる薬膳のような形で発達して来たと考えられている。
薬が初めて歴史上に登場したのは紀元前3500年のメソポタミアであり、シュメール人により植物由来の250種類(ひまし油、ハッカ、大麻、阿片、桂皮、センナ等)、動物由来の180種類(牛、羊の乳、蛇の皮等)、鉱物由来である120種類(食塩、硝石、ミョウバン等)などが粘土版に楔形文字で記載されている。さらに投与法としては、散剤、液剤、坐薬、浣腸剤、軟膏のように、現在の剤形と遜色ない形で使用されていたことも記録されている。
これより後、紀元前2000年のインドにおいては、呼吸器疾患の治療法としてDatura(朝鮮あさがお)の気管支拡張作用が利用され、これを吸入するというアーユルベェーダー式治療法が確立されていた。また、その500年後のエジプトにおいては、喘息症状の記述とその薬の配合と投与量の記載がパピルスに記されている。一方、紀元前450年のギリシャでは、医学の祖とされるヒポクラテス(Hippocrates)を輩出している。彼の功績は原始的な医学から迷信や呪術を切り離し、科学的な医学の理念と概念を確立したことであり、喘息(Asthma)という用語を初めて使用し、喘息症状とその治療を系統化した。それによれば、喘息は癲癇のように発作的にまた周期的に起こり、食事や気候変化を原因とし、養生法や食事療法などを治療の基本としていた。この後、アレキサンダー大王時代(紀元前300年)には最初の人体解剖が行われ、医学は更に科学的に研究されるようになったが、この時代は特に、暗殺を目的とした薬(毒薬)の開発が進んだため、それに対する解毒剤も開発され、薬の調合、配合技術が飛躍的に発達したという。
他方、東洋においては現在の東洋医学の基礎となる医学書、黄帝内経(こうていだいけい)全18巻:霊柩(れいすう)9巻、素問(そもん)9巻が紀元前200年の中国(前漢時代)で編纂された。霊柩は鍼経の別名と考えられ、鍼灸の技術や実践が明記されている。また、素問は黄帝が識者を相手に日常の疑問を問うた問答形式の記述であり、その中に喘息という言葉が記載されていることから、東洋でも喘息の概念が確立されていたことが伺える。一方、インドでもカニシカ王の侍医であったカラカ(Charaka:紀元100年)が内科書Charaka Samhitaを著し、その中に喘鳴や咳を伴う呼吸困難を急速に起こし、喀痰の排泄が困難で、坐位をとると楽となり、発作は曇天や湿気の多い冷たい天候や東風によって増悪するTamaka Swasa Rogaと呼ばれた喘息症状の記載がなされている。
また、ローマのアルス・コーネリウス・セルサス(Aulus Cornelius Celsus:紀元100年)は医書De medicinaを著した。彼はその著書の中で、呼吸状態を中等度の息苦しさで慢性傾向を示すdyspnea、急性で喘鳴を伴うasthma、そして急性で起坐呼吸をとるorthopneaの3群に分類した。この後、ローマのギリシャ人医師ガレヌス(Galenvs:170年)は体液説を唱えた。彼は4種(血液、粘液、黄胆、黒胆)の配合異常によりすべて病気が起こると考え、解剖学、生理学、病理学を基盤とした治療法を勘案し、また、動物実験を行って肋間筋や肋間神経を切断してその変化を観察したり、頚髄の切断により喘息様呼吸困難が出現することを示した。治療法としては自然の治癒力を主眼とし、治癒力を補うために瀉血、浣腸、緩下剤、吐剤、利尿剤等が頻用されたことから、多剤併用という調剤方法が進歩した。これより後、カッパドキア生まれのギリシャ人医師アレタイオス(Aretaeus:200年)が「急性・慢性疾患の原因と症候」および「その療法」各4巻を著した。彼はその記述の中で、喘息は慢性疾患であり、日中よりも夜間睡眠中に増悪し、喀痰排泄困難を伴い起坐呼吸となり、仰臥位で窒息しそうになると記載し、治療法としては瀉血と食事療法を推奨している。
東洋医学的な喘息治療法が初めて明記されているのは中国の張仲景(300年)が著した「傷寒雑病論」であり、鍼灸と薬物療法が記載されている。
また、紀元500年、ローマで医業を営んでいたNumidiaの医師アウレリアヌス(Caelius Aurelianus)は、呼吸困難を来す他の呼吸器疾患と喘息を区別し、喘息は夜間に起こることを最初に記載した。その中で治療法としては胸部の吸血、蒸気吸入、腕の摩擦、瀉血を挙げ、発作のない時には、歩行、日光浴、薬浴、冷水浴、発声練習、節度ある食事を勧めている。さらに、わが国においても平安時代の帰化人、丹波康頼(984年)による中国医書の引用書「医心方」全30巻が著され、喘息は発作的に気道が腫脹し呼吸困難を来す病気であることを示し、エフェドリン作用を有する麻黄をこの時すでに使用している。
この約200年後には、エジプトのカイロで開業していたユダヤ人医師マイモニデス(Moses Maimonides:1200年)がアラビア語で「喘息論Treatise on Asthma」を著した。彼はこの中で、ある喘息患者にとって効果のある治療法が、別の患者では悪化するという特異体質について初めて記載し、喘息患者には新鮮な空気が望ましいことを述べている。

17世紀以降の喘息の概念および治療の変遷
17世紀以降は数多くの医師により喘息が科学的に観察され、治療法も改善が加えられた時代となる。即ち、マイモニデスよりさらに400年後、気体に"gas"という言葉を初めて用いたベルギー人化学者であり医者であったフォン・エルモント(Jean Baptiste Van Helmont:紀元1600年)により、油で揚げた魚を食べて発作を起こす喘息患者の存在が観察され、喘息の過敏性の関与が初めて言及された。また、大脳動脈輪で有名な英国のウィリス(Thomas Willis:1621−1675年)は緻密な喘息経過の観察により、喘息を濃厚な分泌物と気管支壁の浮腫による閉塞型と、気管支の神経や肺血管、横隔膜、胸筋の痙攣型の2つの病型に分類した。さらに、イタリアのラマッチーニ(Bernadio Ramazzini:1633−1714年)はパン職人や粉引き業者に見られる小麦粉による喘息発作、即ち、職業性喘息を初めて報告している。
一方、英国のフロイヤー(John Floyer:1649−1743年)は「喘息論」を著し、喘息を気管支の周期性痙攣による痙攣型と、なんらかの器質的障害による症状持続型の2群に分類した。また喘息の原因として、食事、運動、天候、季節、大気汚染、喫煙、感染、個体差を挙げ、さらに、過敏性、激情、遺伝などの要因の関与について示し、治療として体液を濃厚にすると考えられる魚、豆科の植物、ミルク等の摂取を控えるように指導した。
また、フランスのレンネック(Rene Theophile Hyacinthe Laennec:1781−1826年)は聴診器を考案し、さまざまな呼吸器疾患の患者の肺音を聴診した結果、喘息は気管支の痙攣によって起こるということを確証し、痙攣説(spasm theory)を支持した。さらに、フランスのトルーソー(Armand Trousseau:1801−1867年)はインドの伝統薬Daturaは喘息には有効であるが、喫煙喘息患者に対しては無効であることを報告した。

19世紀以降の治療の変遷
19世紀になると、現在、使用されている気管支拡張薬やテオフィリンが登場する。この薬物の開発は、英国のサルター(Henry Hyde Salter)が1860年に著したOn Asthma :Its Pathology and Treatmentの中で、コーヒーを飲むと喘息に有効な場合があると記述したことに始まる。これにより1888年、独国のコッシル(Albrecht Kossil)はココア (Theobromine cacao)からキサンチン(dimethylxanthine)を抽出し、テオフィリン(theophyllin)と名付けたが、テオフィリンは当初、心不全の治療薬や利尿剤として使用され、約半世紀に渡り喘息治療には用いられなかった。このテオフィリンを初めて喘息重責発作に用いて有効であることを明らかにしたのは米国のヘルマン(G.R. Herrmann)らであり、1937年のことである。
一方、同じ喘息治療薬であるβ刺激薬の開発は、1900年、米国に移住していた高峯譲吉が、副腎髄質から生理活性の強い有効成分であるアドレナリンを単離したことに始まる。このアドレナリン吸入が喘息に有効であることを英国のキャンプ(Percy Camps)が1929年に報告した。しかし、この吸入法が、患者にとって有効かつ便利な定量噴霧器に進歩したのは1956年、米国のRiker Laboratories社によって世界で初めてイソプロテレノ−ル定量噴霧器(メジヘラー・イソ)が発売され臨床に導入された時であり、キヤンプの報告より実に27年の歳月を要している。
現在、喘息治療の根幹をなす吸入ステロイド薬(Inhaled Corticosteroid=ICS)が開発されたのはメジヘラー・イソ開発より16年後、1970年代のことであり、1972年、英国のグラクソ社が世界に先駆けて開発した吸入ステロイド薬 (ベコタイド:Becholomethasone Dipropionate)に始まる。しかし、吸入ステロイド薬が喘息治療の基本薬となったのは、気管支喘息の疾病概念が気道の慢性炎症性疾患と定義されたこの20年足らずの間である。現在では、ICSを医師の指示通りに吸入していれば、ほとんどの喘息症状のコントロールが可能になっているが、ICSについては、すでに御堂筋アズマネットワーク第13号の記事「吸入ステロイドの功罪」で触れたので詳細は前号を参照下さい。
今回、気管支喘息治療を中心とした約4000年間の歴史を振り返ってみて明らかになったことは、医学(病因論、診断学、治療学)は、医学以外の科学の理念や技術が飛躍的に進歩した時と一致して大きく進歩していることである。最近の例を挙げると、1979年ノーベル医学生理学賞を獲得したイギリスのハウンスフィールド(Sir Godfrey Hounsfield)が開発したCT (computerized tomography) 走査(scan)は、レントゲンとコンピュターを合体させ、それまでのX線撮影の100倍以上の解像力をもって診断学に革命的な貢献を行った。それに続いて1980年代にはMRI(magnetic resonance imaging核磁気共鳴映像法)が使用されるようになり、現在、いずれも病気診断には不可欠の装置となっている。
また、2003年4月14日にヒトゲノムの全遺伝子情報がHuman Genome Project(ヒト全塩基配列解析プロジェクト)チームによって明らかにされ、われわれ人類は、自分達の体の設計図をすべて手に入れることができた。このプロジェクトは、1990年にアメリカを中心に先進国が協力して始められたが、完了予定日より数年早く終了できたのは、近年のコンピュター関連技術の多大な進歩に依るものである。
医療における21世紀という時代は、飛躍的な科学技術の発展と相まって、20世紀までのレディーメイド医療から、遺伝子解析を用いた患者個々の体質を考慮したオーダーメイド医療の実現に向かって進んでいる。喘息治療を志す者としては、創薬を含めた治療の革命が一刻も早く人類の健康福祉に貢献してくれることを期待するものである。
参考文献 ・ 北澤式文:人類と薬. 慶応義塾.三田評論No.974;20−27, 1995
・ 眞野健次:アレルギー疾患の歴史(1). アレルギー・免疫13;88−93, 2006
・ 眞野健次:アレルギー疾患の歴史(2). アレルギー・免疫13;103−115, 2006
・ 眞野健次:アレルギー疾患の歴史(3). アレルギー・免疫14;104−121, 2007
・ Roger Ellul-Micallef : History of Asthma, Asthma edited by P.J.Barnes, M.M. Grunsstein, A.R. Leff, and A. J. Woolcock. Lippincott-Raven Publishers, Philadelphia 1997
・ Paula J Anderson : History of Aerosol Therapy: Liquid Nebulization to MDIs to DPIs. Respiratory Care;50:1139−1149, 2005
・ Eric K. Chu and Jeffrey M. Drazen : Asthma, One Hundred Years of Treatment and Onward. Am J Respir Crit Care Med;171:1202−1208, 2005

(医療法人 宮武内科院長)
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