MAN会報
ボランティア活動は
人を助け自分が助けられる


専務理事 事務局長 高峯 秀樹

 私のボランティア精神の原点は、 昭和29年に遡る。 当時は不況の真っ最中で、 就職は縁故募集に頼らざるを得ない時代だった。
 私は神奈川県藤沢市の生まれで、 湘南中学、 高校から早稲田大学へ進んだ。
 大学では、 幸運にも日本にマーケティングを導入し、 啓蒙を計った宇野政雄先生に出会い百貨店に就職してファッションビジネスを手掛けるきっかけを掴むことが出来た。  私は就職活動の為に、 毎日のように大学の先輩であり顔の広い、 東京・朝日新聞社の庶務部長をされていた木村茂樹氏の職場へ通った。 余りの熱心さに根負けした氏は、 当時、 朝日新聞社の相談役で、 朝日放送の社長をされていた飯島幡司先生を紹介してくれた。
 上京中の先生ご夫妻を帝国ホテルへお尋ねして百貨店で働きたい旨を述べ、 推薦をお願いした。 希望が叶い先生は、 大丸の北沢敬二郎社長に頼んで下さった。 筆記試験、 面接試験が終り身体検査にこぎつけた。 ところが何とレントゲン検査でひっかかったのである。
 胸に異常があるはずがないと思いながら、 何も判らない大阪なので途方にくれた。 心斎橋の大丸の周辺を歩きに歩き辿り着いたのが、 堀江にあった宮武医院である。 広大な敷地に新築のアメリカ風の瀟洒な建物。 初めてお目にかかった宮武明一先生は、 親切で、 心が和んだ。 宮武明彦先生のお父さんである。 受け付けはモダンで美しいお母さんがおられた。 先生はレントゲンを診て 「単なる風邪ですね。 大丸の北澤社長はよく存じ上げているから伝えてあげますよ」 とおっしゃってくれた。 大丸へ入社してご挨拶に伺うと、 「知らない土地で淋しいでしょ。 遊びにいらっしゃい」 と言っていただき、 これがご縁で家族の一員のようにしていただいた。
 社会人になるに当って、 ただ一度の面接で保証人にまでなっていただいた飯島幡司先生、 家族の一員のように親切にしていただいた宮武明一先生。
 このお二人に、 誠心誠意人に尽くすこと、 人に感謝する心を学ばせていただいた。  大丸では念願の婦人既製服売り場の担当からスタートしたが、 マンガ家のサトウサンペイ氏が独立して退社した後、 テレビ広告担当の後を引き継いだ。
 それからは、 広告、 文化催事をはじめ宣伝、 販促、 営業の各企画の責任者を長いこと勤め、 各分野を代表する方々とのご縁が出来、 今でもボランティア活動や人脈ビジネスに大いに役に立っている。  大丸の退職時には、 友人50人が発起人になってくれて、 大阪・中津の東洋ホテルで日本で初めて激励のオールナイトパーティーを開いてくれた。
 第2の人生は、 誘われるままに、 国際協力、 国際友好キャンペーン、 福祉、 環境、 医療の各分野へとボランティア活動の一翼を勤めさせて貰っている。
 特に医療のボランティア活動では、 人助けの積もりでご奉仕しているのに、逆に名医の先生方に助けていただいて、 健康という宝物を頂戴している。
 その中でも、 特にご縁の深い医療法人宮武内科。 特別顧問理事の宮武明彦先生、 顧問理事の藤田きみゑ先生が先頭に立って社会貢献をしておられるNPO法人御堂筋アズマネットワークの活動には全霊を捧げてご奉仕したいと思っている。 
 
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