MAN会報
気管支喘息患者の闘病記
◆「私と喘息」◆
大和 健

 私の喘息の始まりは物心がついた時でした。幼かったから発作の記憶があまりありませんでした。小学校に入り低学年の頃は時々発作に苦しみましたが、高学年の時に野球等で身体を動かすことで体力がつき発作がなくなりました。
 中学校、高校時代には発作がありませんでした〔野球部に入り体力を鍛えておりました〕。
 就職をし、仕事に熱中していた為発作を忘れていましたが、5年目あたりから時々軽い発作があったが苦しみがありませんでした。そして昭和43年11月に結婚をし、〔妻に喘息の事を知らせていなかった〕一般的な生活をしておりました。
 昭和52年12月頃から発作が出始めました〔妻は発作の苦しみに驚いていました〕。この時私自身かなり精神的に疲れていました。そして昭和53年3月に従兄弟〔喘息治療中〕の紹介で、親先生〔宮武先生のお父さん〕の診療を受けました。
 親先生の親身な治療で、発作が治まるにつれて私の診察も月2回がだんだん遠のき、半年に1回になりました。
 昭和58年9月に紹介してくれた従兄弟が発作により死亡しました。私は喘息の怖さを痛感し、それ以後月1回の診察を受けることになりました。
 平成3年10月から宮武先生の診察、治療を受ける事になり先生には親身な診察、治療をしていただいております。
 私はヘビースモーカーでしたが、宮武先生からたばこを止めるよう電話をいただき翌日から禁煙しました〔今まで喫煙できるのは身体のコンディションが良いからだと自己満足しておりました〕。以後発作もなくステップ4がステップ2に下がり、私は宮武内科の喘息患者で一番元気であると自負しており、このように元気になったのも先生の親身な診察、治療の結果だと感謝しております。なお現在毎夕食後フルタイド200〔リピトール5mg〕を吸入しサルタノールを携帯しております。
 今後とも油断する事なく、宮武先生の治療方法を忠実に守れば喘息は怖い病気でないと思います。

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