MAN会報
気管支喘息患者の闘病記
◆喘息患者としての思い出◆
宇都宮 雅征

 私が喘息に厄介になり始めたのが、昭和55年頃西区のガソリンスタンドで働いてた時でした。それから半年の間効果のない風邪薬や漢方薬でしのいできたのですが、夜中の発作も毎日、昼間の呼吸も深呼吸が出来なくて因ってた所へ、丁度宮武先生のお父さんの明一先生を知りました。
 先生は店のお客様でしたから、以前から世間話はやっていたのですが、私は姿からてっきり何処かの土建屋の社長とばかし思っていましたが、ある時私の喘息独特の咳を、「君は喘息じやないのかね、いちど私の所へ来てみなさい」と言われ次の日に聞いてた住所を探して先生の所へ、その後二週間ほどで夜中の発作の回数も減り、今まで出来なかった深呼吸も出来るようになったのです。
 その時の気持ちは一生忘れないでしょう。
 それから半年ぐらい通院して、治ったと思い通院を止めた途端体の状態が元に戻り、その後再通院を始めて、今になっているのですが、私はいまの先生には悪いのですが、明一先生にはその後、実の息子の様に色々喘息以外にも相談にのってもらいました。
 その先生の一番の思い出は、ある時丁度何かの事情で看護婦さんが居てない時に先生に注射を「注射も三十年ぶりだがどうだろう」
 先生は言いながら、最初はいつもの左手に三回はど場所を変えたが、だめなので右手にそれもだめ、どうしても出来ない先生は、「今日は止めて置くか、次は看護婦さんが居てるから」と先生はこの喘息のことでは、すごい先生なのに話をすると本当に面白い何処にでも居てるような親父だったような気がします。
 今の明彦先生もお父さんとは又違いますが、我々患者の事を親身になって診て、相談に乗ってもらって生活も安心してやって行ってます。私は来年で六十歳で定年ですが、これからも明彦先生にお世話になりながら子供の頃からの夢、作家になってそうして、それによって得た収益で我々以上に因ってる子供達や年を経た人の力になること、そんな私など想像も付かない夢ですが、これからも頑張ってそれを追って行こうと思っています。
 そのような訳で注射に来ると何時も明一先生の事が懐かしく思い出されます。

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